オーディエンス


オーディエンスとしてどうあるべきか・・・みたいな話は多分昔からずぅっとあるのだろうなぁ・・・


自分も別に℃-uteだけじゃなくて、美貴ちゃんにしても、亜弥ちゃんにしてもそういうこと書いたこともあったのだけれど。
こういうのは感じたときに書いておいたほうがいいかなと思ったので、書き残しておこうと思います。
常に考えていかなきゃいけないことだとも思うので。




「自分が楽しいと思うことが他の人にとっても同じとは限らない」


これが先ずありますよね。
これを例えば100%全員が全員MAXにっていうのは・・・そこが目指すべきところであったにしても、一朝一夕にできるものでもなく。また一人であーだこーだやってもできやしないのだけれど。
その辺上手くバランスを取りながらやっている・・・というのが実のところなんでしょうけれどね。
そして、これは裏を返せば「自分が迷惑だと思うことが他の人にとってもそうだとは限らない」っていうことで。


おーがちょーも書かれてましたけど、オーイングにしたって、今は大分廃れた気がしますけど、都会っ子の時のMIXにしたって。
彼女達自身がラジオなどでそれに言及して、「面白い」とか「楽しい」なんて言っていたりする現実もあって。
ただそれを、彼女達が楽しんでいるからそれでいいんじゃない?で終わらせてしまうのも・・・とも思いつつ。
声とか声援の部分っていうのはもうちょっといろいろと自分なりに考えたいかな・・・


それと別に、実際の動きというか、℃-uteの日の事をFIVE STARSで触れた時にちっさーが言っていた言葉だったりね。
あれは、本当にそうなんだよなぁ・・・
この前の℃-uteの日に仲間内の何人かにはそういう話しましたけど、2年前の℃-uteの日に似たような経験しているんですよね、自分自身が。


あの時は、整理券は今年みたいに事前教示されるものじゃなくて、当日交換っていう形で。
品川に行ってみたら・・・自分が貰ったのは一桁番号。
流石にこの番号を頂いたのであれば・・・と思い、前のほうに並んで、上手の最前列の柵に捕まって見ることにしました。
思えばあの時、開演前からあれだったんですよね・・・なんか一部の人たちがケンカとかしていて・・・
自分達の界隈みたいに、「頂いた番号、席で見るのが基本」である人たちからすれば、おそらく全く真逆の方向に居る人たち同士の争い。
こんな日までそんなことやってるんじゃねーよ、全く・・・なんて思いつつ。


で、開演してからなんですけど・・・所謂圧縮ってやつがやっぱり半端ないわけですね。
スタンディングの最前、℃-ute関連だと放課後のエッセンスの時の横ブリというのもあったんですけど、あの時以上でした。半端ない。
そういう状況下だったので、もう普段ある程度スペースがあるところでやっている、所謂フリコピだったり、ジャンプだったりっていうのは自分の中で諦めて。
もう純粋に手拍子をしたり、声は出せるから出せるところで出したり、後はもう折角こういう間近で見れる機会だから、集中して見て感じることに徹しようって思って。


だけど、周りは変わらずの押し合いへし合い・・・多分押したりなんてしたくない人も沢山居るんだと思いますけど、
でも、隣の誰かに押されたらその勢いでそのまま・・・みたいなのが連鎖しちゃってるんでしょうね。
あれはもう一人とかがどうこうやって何かできるレベルではない。
人がもみくちゃまでいかないまでも、かなりギュウギュウになって、苦しそうにしている人も居るわけですよ。


で・・・そういう人たちが彼女達、ステージの一番近くに居るわけだ。
それを見てどう思いますかね・・・っていう話。
誰かを押し出したりすること、こんな状況でも自分のいつもやりたいようにやることしか考えられないような人たちは到底気づかないでしょうし、分からないでしょうけど、
心配そうな顔をしていたり、こんなにも楽しみにしていて、楽しいはずの℃-uteの日なのに浮かない表情を見せたりする瞬間があって。
そんな中でも、自分と目が合った時に素敵な笑顔を返してくれた・・・あの時もちっさーだったな・・・


ホント・・・何をやってるんだろうね。


多分こういう話はおーがちょー辺りのメロンの歴戦の人たちに聞くとまた違った話が聞けるのかなと思うんですけれどね。
きっと、子供なんだろうなぁ・・・もちろん悪い意味で。
或いは同じベクトルを向いていないということが悪いことなのか・・・いや・・・そうじゃないよなぁ。
少なくともステージ上の彼女達にそんな表情をさせたり、心配をさせてしまうようなやり方が正しいものだなんて自分は絶対思わない。


人と自分の楽しみ方は違うし、イヤだと思うものも違う、それは分かる、分かりたいと思う。
けれど、彼女達にそんな想いをさせてしまうものは、人それぞれだなんて上っ面だけの方便なんかで隠してはいけない、ごまかしてはいけない、絶対的に否定すべきものだと思う。
少なくともそれを応援とは絶対に呼ばないと思うし、呼んではいけないと思う。


こういう自分だって、自分がイヤな思いをした数と同じか、もしかしたらそれ以上に周りの誰かに迷惑をかけたことがあるかもしれないということもきちんと受け止めながら。
それに、彼女達自身にももしかしたらっていう部分があるにしても。
少なくともそういう話を直接的に、或いは間接的にでも聴いて、何も思わないような人間になっちゃぁいけない。そうなったらおしまいだと思う。


失敗をすることもある。
だけど、考えて直す事もできる。


それが人だと思う。
だから、考えよう。