君が幸せであるように


今日は美貴ちゃんの24歳の誕生日〜!


色々と考えることがなくもない今日この頃ですけど・・・考える必要もないかなぁ・・・っていうことも思ってます。
何も心配していないんですよね。きっと自分自身の中で。
自分自身の彼女に対するスタンスとか、気持ちの持ち方とかもこの7年とか8年の間で色々な形に変わってきたと思うけれど・・・
長い時を経てたどり着いた自分なりの形っていうのはあるんだろうなと思います。


そう、以前は本当に毎日毎日っていうと大げさかもしれないけれど、いつだって会いに行きたかったし、
会いたくて仕方がなかったし、そういう機会があるならば何だってっていうスタンスで居た時もあって。
もちろん今だって本当にどうしょうもないっていう時は絶対に行くようにしているけれど。
その頃の自分のスタンスには、そしていつだってそうだけれど、好きだから会いたいとか、直接言って声をかけたりして応援したいっていう気持ちもあって。
でも、今考えると、あの頃は何かしらの不安みたいなのが自分の中にあったのかな・・・って思ったりもする。


会わないと不安。見ることが出来ないと不安。離れている時間が不安。
実際にそんな時もあったことも覚えているし、自分の無意識のうちにだってあったんだろうと思う。
口ではそうじゃないそうじゃないって言ったって、会いに行ける回数にこだわっていたり、数多く足を運べることを自分のプライドにしていたり、
自分の存在意義にしていたり、誰かと自分の気持ちを比べてみたり・・・そんなこともあったんだろうと思う。
彼女の歌を聴いたり、空気に触れたり、同じ時間を一緒に過ごせれば過ごせるほど彼女のことが理解できる気がしていたし、
知れば知るほどにもっともっと好きになっていったし、だからこそまた会いたくなって・・・ってそんな繰り返しだったんじゃないかと思う。


でも、きっとそうじゃないんだよなぁ・・・
いつしかそういうことに気付いた、気付いたのか、彼女から教えられたのか、或いは他の誰かの姿を見て学んだのかはわからないけれど。
多分ね、彼女に限らず、誰を何度見に行こうとも、誰に何回会おうとも、わからない人にはずぅっとわからない部分ってあると思うんですね。
結局どういう姿勢で、気持ちで向き合おうとしているかっていうことによって全然変わってきちゃうと思うんです。
同じ人を見ているはずなのに、受け取るものも、感じるものも全然違ってきてしまう。その人の心の持ちようでいかようにも変わってしまう。
そういう事を、これは美貴ちゃんに限った話ではないけれど色々な人と触れ合って自分自身思うようになったのかもしれない。


自分は自分でしかないということ。他の誰でもない。自分は自分一人しかいない。
そして、信じるということ。


「その人の想い、意思、努力、責任感、可能性、向上心、夢、希望、未来・・・
そういうものを信じるということだと思う。
きっと意識して考えることではなくって、無意識でそういう部分にまで思慮を及ばせることが出来るのかどうか。
きっとそういうことだと思う。だから揺るぎない」


だから自分は何も言わない。
ありのままの姿であろうとする人をそのままの姿で受け止める。
それが自分なりの想いの返し方。


どんな歌を歌って欲しい?どんな風になって欲しい?どんな風にこれから進んでいって欲しい?
そんなこと自分が考えることじゃない。
楽しい時は一緒に笑って、一緒にライブを楽しんで、時に会話を交わしたりして。
先を行くわけでもなく、追いかけるわけでもなく、出来る限り横で、隣で、同じ目線を持って。そんな風で居られたなら。
ただ笑顔が見れただけで凄く嬉しくて、素敵な歌を聴かせて貰って嬉しくて、生き生きとした表情で動き回っている姿を見て嬉しくて、幸せで。
貴女の幸せは自分の幸せ。


今日という日、誕生日が素敵な一日になりますように。
そしてこれからも美貴ちゃんの笑顔が沢山見れますように。
誕生日、おめでとう。