居場所


感覚的な話。


自分も現場という話でいうなら色々な所に足を運ぶし、顔を出す人。
そういう流れとか、こういうブログでの交流とかがあって、
色々な現場で会って話をすることが出来る知り合い、友人も増えて。
だから、今ではおそらくほとんどの場所で誰かしら知り合いが居て。
それは凄く嬉しいことなんですけどね。


何ていうか、自分の見知った顔が居るっていう部分からもたらされる安心感のようなもの、
そういう感覚っていうのはきっと誰しもあるんじゃないかなって思うんですよね。
単純に知り合いが多ければ色々な話も出来るし、そういう部分からもたらされる楽しさもあるしね。
でも、本当に大事な部分って決してそういう人の数とかの話ではないんだよなぁ・・・っていうか。
目に見える部分ももちろんあるんですけど、もっと自分自身の感覚的な話としての部分。


「自分の居場所はここなんだよな」とか「帰ってきたんだな」


みたいな感覚。
そういう感覚で居られる場所って簡単に手に入るものなのかな?どうなんだろう。
でも、限られていると思うんですよね。そういう場所って。
自分自身の感覚での話なんですけどね。


そういう感覚をこの前のSTBの時にすごく感じて。
もちろん純粋に美貴ちゃんファンの人と沢山会って話して・・・っていうのもあるんですけどね。
彼女の歌を心ゆくまで聴いて、音楽と時間と空間を感じてっていうことがまずあって。
そして更にその想いを共有できる人たちが居て。
その後自分の帰りがけにすれ違った友人たち、これから入る人たちの期待に満ちた表情とかも含めて。
そういう全てのことをひっくるめて凄くしあわせだったんです。


人と人が理解するとかしないとか、共感するとかっていう話もあるんですけど、
単純に考え方とかスタンスとかが合う合わないっていう話とかではなくってね。
合う合わないの話するなら、美貴ちゃんファンの知り合いもそれなりに居ますけど、
自分と考え方とかスタンスが近しい人、合う人の数って正直凄く少ないんですよね。
そういう部分の違いとかに悩んだりした時も昔はあったんですけど、それから時間も経って、色々な人と出会ったり話をしたりして。
多分認めることが出来るようになったんだろうなぁ・・・自分自身が。昔は本当に子供だった。
人と人は違うもの、そんな当たり前のことすら理解できていなかった。
でも、そういうスタンス的な部分ってきっとまだまだ表面的なものなんだろうなぁ・・・とも思っていて。
多分ね、そういう風に例えばスタンスとか違っていても一緒に行動できたり、楽しく過ごせたり出来るのは、
お互いのもっと芯にある部分を感じ取っているからなんだろうなぁ・・・って今は思う。
まぁ、どうしても無理って人も居るけどさ(笑)


長くなりましたけど・・・
そういう感覚、そしてそういう気持ちで居られる場所を大切にしたいなって改めて思う今日この頃。