気づき


自分の父親の話。
何ていうか基本的に自分に自信を持っているというか何というか。
自分の考えが基本正しいっていうのが前面に出てくる人で。
何ていうか自分は絶対間違ったことはしないし、ミスもしないっていうような。
だから何かちょっとした問題が起こったりすると、すぐに誰か他の人がミスしたことだと決めつける。
まぁ、家族内の話だから、そういうところ何とかしてくれと思いつつ注意しつつ、見守ってるんですけどね。


自分にしたって色々言われたりすることもあるんだけど、それはお互い様というか。
家族という関係故に基本何でも言い合える仲でありたいと思うし、
何でも言ってくれる人が近くに居ることのありがたさというものを自分自身も感じたいし大切にしたい。
そして自分の父親もそういう風に感じてくれたらなぁ・・・と日々思っていたりします。





人間関係というか、友人関係、友達付き合いと一口で言っても色々あるわけで。
色々な付き合い方があると思うんですよね。
自分の周りにも色々な人が居ますけど、一緒にバカをやれる人だったり、悩みの相談に乗ってくれたりする人。
自分自身の実感として、一緒にバカもやれるし、真剣な話も聞いたり話したりできる、

そんな関係の友人が自分には居てくれるというのがとてもありがたいことだし、幸せなことだと思っていて。


一緒に遊んだりもするけれど、時と場合によっては注意してくれたり、引き止めてくれたり。
そんな人が居てくれるかどうかって凄く大事じゃないかなって思います。
普段生活していても、或いはここで何かを書くってことに関しても今までも色々あったし、
これからもきっと色々あるんでしょうけど。
人間だからどうしても感情があって、それに流されてしまうこともある。それは自分自身も理解できる。
自分自身ここで書く色々なことに関しても、じっくり考えて書くこともあれば、
パーっと思いついたことだったり、その時の感情のままにダーっと書きなぐるではないけどそういうこともある。


それはそれでいいと思うんですけど、誰しも自分の足元が見えなくなるというか、
自分だけじゃ見えない部分って確かにあるはずで。
そういう部分をフォローしてくれたり教えてくれたりする人が周りに居てくれるかどうかって凄く大事じゃないかって思うわけです。
自分も以前、完全にその瞬時の怒りや憎しみに任せた文章とかを書き散らしたことがあって。
その時に、ハッとさせてくれるというか、冷や水をかけるとは違うけど立ち止まらせてくれる、気づかせてくれるコメントを寄せてくれた人が居て。
あれはすごくありがたかった。
結構人が怒りとかに流されてる時って触れにくいというか、触らぬ神にたたりなしではないけれど、
距離を置いて自然冷却を待つみたいなスタンス取る人も多いと思うんですよね。
実際言葉がストレートに受け入れられないような感情の渦巻きがあることも多いしね。

そういうこと考えても、そうやって近づいてきてくれる人の存在っていうのはすごくありがたいっていうかね。


助言だったり進言だったり注意だったりするんだろうけれど、
そういうことをしてくれる友人が周りに居るっていうことに感謝したいし、
それに気づけたことが良かった、なんてことも考えたりします。
自分の意見は自分の意見でもちろん大事なんですけど、それだけに終始してしまうと・・・っていうね。
なのでできる限り色々な人の考えだったりを尊重したいなって思っているし、
いいなって思うところはどんどん吸収したいって思うし、ダメだと思うところは反面教師だったり、否定したりする。
周りの意見に流されるっていうことではなく、周りの声に耳を傾けるっていうことも大事だなって思うわけです。
注意してくれる人がいるうちが華っていう部分もきっとある。


なんだかだらだらと書きましたけど・・・
自分にとって誰が良き友人なのかっていうのを考えるというか、知っておくっていうのは大切なことじゃないかなと思うわけです。