今と未来


何かあるたびに、プロだったらとかそういうことを持ち出す人が居るんですけど、
プロの定義って何だろう?


自分にとってのプロの定義って「ミスをしないこと」ではないと思ってて。
そうだな、ミスという言葉を使うならば「ミスを取り返すことの出来る人」がプロだと思う。
あぁ、誤魔化すなんてのはなんか違うと思う。
プロならば逆に堂々としていて欲しい。


で、まぁ、歌詞飛ばしのことなんですけどね。
そう、彼女も決して初めて来る人たちのことを意識していないわけじゃないと思う。
それはもちろん彼女が色々な公演で「初めて来てくれた方?」って聞いていたからっていうのもあるけれど。
それこそ何公演も足を運ぶ人ならばそういうことがあったとしても「あぁ、今日はちょっと調子が悪いんだな」とか、
ある程度の理解というかそういうのは出来るとは思う。
けど、そこしかないっていう人がその公演に見に来ていた時にって考えるとね。
それはやっぱりこれから先のこと考えると直せるなら直したほうがいいのかもしれない。
そもそもなんであんなに飛ばすんだろう?っていう逆に不思議でもあったりするのだけど(笑)
でも、その辺のあれは客席側の自分達にはきっとそこまで分からないんだろうな。


凄く分かるんですけどね。そういう方達を気にする気持ち。
ここからは別に亜弥ちゃんのファンに限ったことではないけれど。
それこそ初めて見に来て、凄い楽しみにしてきて、だけどその公演で見たその人が凄い調子悪くてミスしまくりだし・・
でがっかりしてもう2度と来なくなってしまった。
っていうような現実も決して0だとは思わない。
だけど、結局その人の感想はその人にしか分からないわけでして。
そういう部分を必要以上に気にしてもなって思ってて。


逆に、ちょっとやそっと・・・ちょっとやそっとじゃないかもしれないけど(笑)
ミスとかあったとしても、そんなの気にならないぐらい楽しめて、また来たいって思う人が居る可能性だってあるわけでしょ。
例えばミスしたりして、そこがマイナスに見えても、1公演を通して何かしらの曲とか、
どこかの部分で心に引っかかる何か、凄く心惹かれる部分があればきっとその人はまた見に来てくれるんじゃないかなって思ってたりもするんですけどね。
どちらも可能性、人によって違うという話なので、ミス云々というものから波及する可能性に対してどうこう言ったりするのはあまり意味がないんじゃないかなって思ってて。
それはあくまでその可能性論についての話であって、歌詞飛ばし云々については最初に書いた通り、ないならないほうがいいんだと思ってます。
自分の出来る限り客観的に考えたなら。


けれど、そのミスの部分しか心に残らないコンサートしか開けない歌手だったらそれまでの人ってことじゃないかな。
ミスを取り返すっていう部分にも関連しているんですけどね。


というか、皆何を求めてコンサートとか見に行ってるんだろう?
自分が見に行って楽しいと思うコンサート、見に来て良かったと思うコンサートは「ミスがなかったコンサート」とかじゃないんですけどね。
決して無関係とも言わないけれど、自分が楽しむということにおいては何も支障がなくて、
誤解を恐れずに言えば、どうでも良いことだったので今回の千秋楽見た後も書かなかったんだけど、色々見てて書こうかなって思ったので。
亜弥ちゃんだけに限ったことでもないからって思って。
心配はしたけどね・・。


自分はやっぱり甘いのかもしれない。
でも、こういうファンも居るんだよっていう話。


本当に何か思うならば、こういうものこそ本人に直接届くように伝えるのがいいとも思ったりもしていて。
自分は楽しいと思ったから、本人にちゃんと届くかは分からないけれど、コンサートの感想をそう書いてラジオに送りました。
きちんとした人なら、肯定的な感想も、否定的な意見もちゃんと受け止めてくれると思うんですけどね。