知る、知らない


また、徒然と何となく色々と。
あっ、ネタバレあり(笑)



  • 物語的な話


天使と悪魔っていう題材を使った舞台とか物語がこの世の中にどれほどあるのかは流石に数えたこともないので分からないのですが、
作り方によっては偉く神話的だったり、神秘的だったり、現実世界とかけ離れた感じだったり、幻想的だったり?そんな風にも幾らだって作れるようなものですよね。
そもそも存在そのものが?な存在なわけですし。(宗教的な話はなしにして(笑)


ストーリーがある程度の中心にあるっていうのは、このミュージカルに限った話ではなくて、どんな舞台でも基本はそうだとは思うんですけれど、
あまりストーリーに変な力を入れすぎるというか、そこにアイデアを詰め込みすぎると、逆に人に伝わりにくくなってしまうものなのかもしれないなぁ・・・なんて事を思ったりします。


こういう登場人物が居て、こういう背景があって、この人はこういう性格で・・・


っていうのは当然あるにしても、そこに注力しすぎるというか、最初から土台を作りすぎると、何となく広がりというか、可能性が狭まってしまうんじゃないかななんて考えたりもして。
そういった意味では、例えば劇中にはおそらく大多数の日本人が小学校の頃辺りに聞いたことがある某曲を題材にしたものを彼女達が演じたりするという部分があるんですけれど、
ああいうものから感じる親近感だったり、既視感というか・・・「知っている」感覚っていうものにしても、見ている人をその世界に引き込むという意味では重要なファクターなのではないかなとも思ったりして。
もちろん、その部分は笑いが起きたりする箇所でもあったりするのだけれど、ただの「小ネタ」的な意味合いのものだけじゃない気もするんですよね。


なんだかよくわからないなぁ・・・


なんて見ている人に思われてしまったら、その時点で終了のお知らせじゃないのかなとも想いますしね。
そういう意味でも、本当に安心して見ていられるというか・・・彼女達の舞台を手がけてくださる方々の意識という部分にしても。
その部分に関しては何度も触れてきたことがあるんですけれど、もちろん基礎的な土台だったり、脚本だったりは作るのだけれど、
それを生かすも殺すも演じる彼女達次第。みたいな部分を必ずそこに用意してくれているって感じられる部分。


例えばパンフレットの巻末において、音楽プロデュースをされた「はたけ」さんの言葉が載っているんですけれども、
はたけさんは今回のプロデュースするにあたって、「敢えて℃-uteの事を知らないで」取り組まれたのだとか。
パフォーマンスなどを知ってしまうと、そのイメージにどうしても染まった感じの曲などになってしまうから・・・みたいな話だったんですけれどね。
それを観劇した後に読んだ自分は正直驚いて。
え?だって、あれらの曲は凄く彼女達が歌うのが、「しっくり」くる感じとかもあったし・・・℃-uteらしさも感じたし・・・
でも、はたけさんは同時に「℃-uteに思い切り挑戦して欲しい」みたいなことも話されていて。
そういうことなんですね。曲がどうとか、歌がどうとか、誰が作ったとか、そういう話ではなくて、それを歌って伝えるのは他ならぬ℃-ute自身。
それを自分達がどのような色に染めるかによって全然違うということ、そういう事に改めて気づかせてくれたお話でした。


少し話が変わってしまいましたが、「知らないで」書くというのも一つの方法なのだなぁ・・・と感じました。
その一方で、「知る努力、理解する努力を精一杯やっていただいた上で書く」というのもある。
それが大田さんであって、また塩田さんでもあると感じているんですけれど。


ストーリー的な話に戻れば・・・出来る限り「演じる人によって幾らでも変わる」ような舞台、
即ちその舞台に立つ人たちの魅力だったり、パフォーマンスがよりストレートに伝わりやすい舞台、そういう部分に重きを置いていただいているのではないかなと感じています。常日頃。