可能性の道


この前、彼女が今回のツアーを表現した言葉が「フリーダム」であるということは書いたのだけれど。
自由っていうのは、何も縛りがなく、自分の好きなようにやれる。
そういう一面がある一方で、自由の中の不自由?そんな言葉もあったと記憶している。


例えば、日本人は「これをやれ」みたいに指示されたことをこなすのは得意だけれど、
自分で考えて行動することが苦手だ、みたいな話を聞いたことがあって。
そういう部分が「自由」には含まれてると思う。
それこそ新人の歌手がデビュー曲だと渡されて「自由に歌ってみて」と言われたとして、どれだけの事が出来るんだろう。
彼女が今語る「自由」には沢山の時間や経験による裏付けがあるんだと思う。


こだわりを捨て去ったと言われれば確かにそうなのかもしれない。
自分自身に対するこだわりは時に強さをくれるものだと思うし、持っていていいものだと思うけれど、
”こうあるべきだ”“こうでなくてはいけない”みたいな自分自身を縛りつけるようなこだわりはかえって逆効果というか。
自分自身の可能性を狭めてしまうし、きっとまだ見ぬ芽さえも摘んでしまう。
それは周りから発せられる有象無象の様々な重圧のようなものも含めて。
今の彼女の口から発せられる「フリーダム」という言葉は、長い時間を経てたどり着いた一つの究極の結論なんだと思う。


「自由にやっていいよ」と言われて喜ぶ人と、戸惑う人とが居ると思う。
しかし、松浦亜弥という人は間違いなく喜ぶ人であると思う。
自分自身というものをきちんと理解していて、向き合っていて。
そしてそれを表現する術を頭ではなく感覚のレベル無意識のレベルで知っている人。
一度作られた曲は変わるわけじゃないし、歌詞も変わることはなくて、いつもと同じ。
けれど、それを表現する方法はそれこそ無限大で。それこそが自由。
演奏するということにしても、歌うということにしても。


今の彼女を見ているととてもワクワクする自分が居て。
それはきっと彼女自身から発せられる自由というメッセージやここから先に見える何かまだはっきりしたものではないけれど、
確かに広がる様々な可能性を感じることが出来るからだと思う。


彼女が悩み過ごした数年間は決して無駄ではなかった。
進化ノ季節を経て、確かな松浦亜弥が今ここに始まった。
ダブルレインボウはそんな風に感じさせてくれるツアーでした。


歌うこと。
人として、声が出せればそれだけで誰にでも出来ること。
誰にでも出来るもの。なのに何故こんなにも自分は歌というものに惹かれるんだろう。
その理由が分かったような気がします。


そして、自分にもまた大切なものが一つ増えました。