刹那の意味は


それでいいのかい?青春☆様の記事を読んで。


オトムギの脚本家である塩田さんが今も尚「寝る子は℃-ute」のことについて書かれていることがまず何よりも嬉しい。


余韻が残り、切なくなる。寂しくなる。


解決方法は次の何かに向かっていくことだそうな。確かに。
もちろん実際にはそうは分ってはいても体がというか頭が納得してくれないということもあるのだろうと思う。
次が楽しみ、だけどやっぱり寂しい・・・そういう感じ。
自分もそうかもしれない。


自分が知っていた”刹那”の意味は、短い時間、一瞬、そういう意味。
だけど気になったので検索してみた。そしたらこんな一文が出てきた。


「刹那という短い時間を大切に生きる」


これはこれで的を得ているんじゃないかって思った。
短い時間って一口に言ったってそれは色々だろうけれど、それを1公演とか1舞台という風に置き換えてみると。
限られた時間を大切にする。大切に生きる。一生懸命生きる。きっとそういうこと。
あの舞台を作った、演じた人たちが皆そういう想いで居たのであれば・・・いや、居たんだと思う。


だからきっとこんなに切ない。


「楽しかった!」で終わるものも良いと思う。
でも、本当に良いものってそれと同時に、終わってしまうのが惜しいと思わせてくれるものなんじゃないかと思う。
まだまだ見ていたい、何度でも何度でも見てみたいって思えるような。


それでも次を見て、次に思いを馳せてまた進んでいく。
それがまたこの舞台でのテーマの一つであったと自分が思っている”生きる”ということだと思う。
大げさかもしれないけれど、そうだな・・・生きてさえいればまたきっと。そんな風にも思える。


終わってしまうから、限りがあるからこそ次があるんだよね。
次だよ。次。