ふむ


何となく徒然と。


言葉じゃ表せない何か・・・っていうと表現することから逃げているみたいなことになるのかな。どうだろう。
敢えて言葉にするなら、「人」或いは「心」なのかな。




「可愛い」とか「曲がいい」とか「歌がいい」とか。


そういう表面的なものじゃないんだよなぁ。
そこが導入部であることは否定はしないけれど。
ただ、もうそういう部分まで、内に内にまで入り込んで、そこに惹かれているのであれば、離れることはないんじゃないかな。


後は「距離」か。
実態的な距離ではなく「心の距離」
好きとか、相思相愛っていうものではない、いやそういう部分にも近いのかもしれないけれど。
どこまで心寄せることができるか、通じ合うとでも言うのだろうか。


実質的に、例えば沢山会えるとか、話が出来るとか、そういうことではないんですよね。自分にとって。
以前、とあるグループを見に行って楽しんでいる人たちに、「握手会でも沢山話せるし楽しいよ!」みたいなことを言って誘われたことがあって。
自分はそれを聞いて、あぁ、なんかこの人とは感性が合わないなぁと感じてしまった。
そういう部分に楽しみを見出すことを否定はしないし、それもそれで一つのスタンスなのだろうけれど。
可愛い子、楽しい子、好きな人と話を出来ることは楽しいし、ドキドキしたり緊張もしたりするけれど楽しいのは確かだ。


でも、何と言うか、そもそも自分が好きで見に行っている子達自身の魅力、例え「可愛い」っていう一言であったとしても、
その人自身に関する魅力を口にする前に、そんなシステムの話、環境的な話が先に出てきちゃうのってどうなのよ、って思った。
そんなシステムを推しているわけでも、売り出し方とかを推しているわけでもないと思うのだけどなぁ。
そういう環境だとそういう話になってしまうのだろうか。おそらくその人の中には、「比較を以って魅力を伝える」みたいな意図があったのかもしれないけれど。
ハローの握手会よりもゆっくり長く話せるよ、みたいな話は今に始まった話じゃなくて、昔から色々な人が話していたりするのを聞いたことがある。
そういう比較云々じゃないんだけどな。というか、そもそも比較する部分が何か違わないか?


実距離、体感距離は程ほどに保ちながら。
それでいて、心の距離をなるべく近く、同じ高さ、目線を保ちながら。
そんな風にあれるのがいいのかなって思っているんだろうな、きっと自分は、自然と。


心の距離、それがこういう距離感であれるのは、彼女達がそういう人たちであるからこそで、
彼女達がそういった心を寄せてくれているからこそで。
そう思うからこそ。