リゾナントブルーPV


http://www.dohhhup.com/movie/ZviSmMhpIvB38WS4STewMy6ib7g5KY5E/view.php


まぁ・・・今更な感じが強いですけど(笑)
でも、最近巡回サボりまくっているので、巡回的なものはほとんどしてません。
ソフィオさんのところ読んだぐらいかな。リンク先もまだ読んでませんけど(笑)


さて、本題。


一応潜りますね。




曲を聞いただけの時よりも更にはっきりとパートが分かれて感じれる部分もあって。
歌う二人が居て、もう一人、3人がメインで映り、他のメンバーは基本的にその二人の後ろでサポートする感じ。
というか、これは一瞬ダンスショットバージョン?!と見間違うかのようなPVで。
歌うシーン、ダンスのシーンがほぼ全編に渡っていて。
かといってメンバーのアップショットが頻繁に映るわけでもなく。


この曲を考えると・・・これが正解だと思うんですよね。いやどれが正解とかないんでしょうけど、一つの正解だと思う。
作品として、娘。としてのことを考えるならこれでいいと思う。
妥協をせずに来た意欲作というか、勝負曲のような。
そんな意思も感じれるかも。
例えばの話としてこのPVが「モーニング娘。のメンバーのPV」として出されるものだったら、この作りは「ないわ」ってなると思う。
メンバーほぼ3人ぐらいしか映ってないじゃんか!ってね。
けれどこのPVはあくまで「リゾナントブルーのPV」であって。
娘。の各メンバーを売り出したり顔見せするためのPVじゃないはず。
もちろん、PVっていうのは両方の側面を常に持っているものかもしれないけれど、どっちつかずで中途半端よりはこういう風にはっきりしているのもいいんじゃないかなー。
全員が全員自分の役割を果たしているんじゃないかなって感じる。
例えばこの映像から前面で歌うメンバーを抜いたとする。それがどう映るか?
あぁ、斬新かもしれないけどね、逆に(笑)
そしてまた、後ろで踊るメンバーを抜いた映像にしたらどうなるか?そんな事を想像してみる。
この凄くカッコよくてパワーが伝わってくるような映像が一瞬でつまらないものになってしまうんじゃないかなーなんて思う。


確かに何度となく言われているように、時代としては「モーニング娘。?まだやってたの?」なんて時代ですよ。
メンバーの名前なんてほとんど知られてない。
グループ名聞くだけで一瞬でその人の頭の中に蓄積された、きっと色々なフィルターに掛けられて屈折した情報、イメージが浮かんできて拒絶する。
でも、それは決して外部の人だけでもないと思うんですよね。最近は特に。
同じハロプロっていう内部のファンでも、娘。を見下しているような人とかたまに見かけるようになってしまった最近。


まぁ、確かにこれからのこととかその子の今後とか考えるなら名前知ってもらうこととかは重要なんだと思う。顔覚えてもらうとかね。
でも、それ以前に今きっと必要なのは「モーニング娘。を見てもらう」ことじゃないかなって思う。
“知ってもらう”の前に“見てもらう”。
メンバーの事とか名前とか特徴とか、良いところとかを知ってもらうのは後でもいいんじゃないかなーなんて思うんですよね。
前にグループとしての団結とか云々とか書いた時に書いたことにも通じているんですが、
今の娘。に“個”が欠けているなんて全然思ってなくって。
で、このPV見てると、その“個”が集まって一つになって作り出している素晴らしい作品じゃないかなって思うんですよね。
きっと彼女達もそういう姿勢、視点で今頑張ってるんじゃないかなって思う。
それがまた確信に変わるようなパフォーマンスがコンサートで見れたら嬉しいなって思う。
そんな風に思う日々。