記憶と現実


ということで、先週末に娘。コンのグッズで追加されたDVDマガジンvol15。
春ツアーSEXY8ビートの様子を振り返るDVDを買ってきて。


何ていうか・・・もう、なんていう感覚なのか分からないのだけど・・・
嬉しい・・・なんだと思う。
普段もそうしてるんですけど、自分は新しいDVDとかが届いたり買ってきたりしたらまずジャケットを見て。
そして裏ジャケット見て・・・ってやるんですね。
これは結構多くの人がやってるんじゃないかな。


そのジャケットを見て、そこに美貴ちゃんがちゃんと写ってるかどうかを無意識の・・いや意識的に探している自分がいて。
そしてそこに確かに写る美貴ちゃんの姿を確認して・・・それからプレーヤーにディスクを入れて、再生。


・・・
終われないさんがこの前くださったコメントにも入っていたのだけど、スピード。
そう、この前の東京厚生で5ヶ月以上ぶりに娘。のコンサートを見た自分はそれを感じた。
もちろんそれは自分自身がその間色々な変化が起こっていた娘。から目をそむけていたというのが理由の一番ではあろうけれど、
あまりにも全てが自分の中で違いすぎた。
自分の記憶の中のモーニング娘。と今目の前に居るモーニング娘。であるはずのグループの違いに戸惑っていた。
本当に不思議な感覚だった。確かにどのメンバーだって初めて見るメンバーなんて一人も居ないのに。
自分はその変化に、時の流れに取り残されていた。


自分の記憶と、そして今目の前にある現実との間の時間を過ごしている時に、時よ止まれ。
いや、せめてもう少しゆっくりと動いてくれないかと思う時があった。
それは自分自身が現実と向き合うことを拒絶して、我を忘れるかのように精力的に動いていたせいもあるのだろうけれど、
それにしても速かった。あまりにも。
現実を受け入れられずにもがいている自分が下を向いたままでいて。
傍と思って上を見上げてみたら全然知らない別の世界に居た。そんな感覚かもしれない。


気づいたら自分の記憶と現実はあまりにもかけ離れすぎていて。
自分の記憶が信じられなくなってしまった。
あんなに一緒の空間で沢山の時間を過ごしていたはずなのに、その記憶が信じられなくなってしまっていた。
春ツアーのDVDだって見ていたはずなのに。
あまりにも申し訳ないし、失礼な話だし、何を考えてるんだって思うんだけど、そう思ってしまった。


そして、再生が始まって・・・そこには確かに居た。
よっすぃ〜が居て・・・美貴ちゃんが居て・・・確かに自分の記憶の中にあるモーニング娘。がそこには居た。
嬉しかった。
あの頃の気持ちを沢山思い出し、映像と自分の記憶を重ね合わせ。
一つ一つ確かめるように、自分の記憶が確かなものであったことを確認する。


東京厚生を見た後に自分の胸に何か感じていた説明しようのない何かが取れた気がする。
自分はきっと不安だった。
それは何をやったって変わることのない事実であるはずなのに、
まるでそれがなかったかのように進んでいく時間と目の前にある現実に不安を覚えた。
彼女たちがそうしていかなくてはならないということは分かっていても、分かってはいても。


これを見て、また一つ何かが変わった気がする。


自分の記憶の中に確かにその思い出、記憶が残っているように。
彼女たちの中にも確かに残ってるはず。
そう思うことが出来たから。