求めるものは



美貴ちゃんの誕生日まで後76日になりました。


一年の振り返りの続き。
3月27日の美貴ちゃんのディナーショー。


あの日もし自分が参加できていなかったのなら・・・とか考えてしまうと正直怖い。
ソロコンサートに参加することが出来なかった自分にとっては本当に初めての時間。
あの日のレポに書いたように、本当にもう言葉では言い表せないような幸せな時間を過ごせて。
そして大きな力を貰いました。


それはきっと今の自分のこの活動量だったり、モチベーションだったりにも現われているのではないかなって思います。
あの日、あの1時間は自分にとって一生の宝物。


でもね、”DSだけ”っていうのはやめて欲しいっていう気持ちがあって。
確かに特別な空間であるし、参加できた人には本当に至福の時間を与えてくれる場所。
だけど参加できなかった人は本当に落ちこむし・・・辛い。
というのももちろん理由の一つ。
だけどそれだけじゃなくて。
やっぱりね、限られた人数だけにしか披露されないってもったいないって思う。
もっと多くの人に、彼女の歌を聞きたいと願う人にその機会を与えて欲しい。


これは別に美貴ちゃんだけに限った事ではなくて、今現在DSのような場所でしか歌う場を与えられていない全てのハロプロの歌手において言えることだと思うのだけどね。
それこそ、例に挙げるなら亜弥ちゃんのように、春、秋とコンサートがあって、その上でのDS、今月行われるようなね。
そういう形ならいいと思う。それでこそ“特別”という意味があると思うし。
だけど、普通、というか普段があってこその特別だって思うわけで。
美貴ちゃんのDSにしたら、それこそロマモーとかをね、あんな静かに落ち着いて聴ける機会なんてあそこしかないと思うしね。


DSってカジュアルディナーショーには狭き門っていう高い敷居があって。
でもって、今度の亜弥ちゃんのDSのようなものは、正直値段的なものとか場所的なこととか時期的なこととか色々ある。
もちろん例えばこれが美貴ちゃんのDSだったとしたら、自分だって仕事だろうがなんだろうが万難を排してそれに参加します。
けれど、それが出来る人ばかりではないし。
そういう敷居の高さってホント”もったいない”。


なっちのDSのこととかについてあっちゃさんがこの前書いていたけど・・・
そういう風に人数とか場所とか限定していくと、それについていけない人がどんどんでてくる。
それでいいのかな?


ハロプロはアイドルとかって呼ばれるけど、やっぱり根本は”歌”にあり、歌手であると自分は思っていて。
その部分を全てのファンが満足に楽しめない状況ってどうかなって思う。
カントリー娘。にしても。
1月はパシイベとDSとがあって。なんで?って思った。
なんで、もう最後なのに、なんでそんなまた多くのファンを落とすようなことするんだろって。
DS、確かに参加できれば一生の思い出、宝物になる、それは確か。
だけどさ、参加できなかった人はどうするの?
ホントにな・・・勘弁して欲しい・・


なんか色々書きましたが・・・そんな事を思います。